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玉川小学校・校区紹介


庄内川と玉野堰堤


春日井市都市景観条例

 春日井市は平成8年(1996)に「春日井市都市景観条例」を定め、
 @歴史的、建築的価値がある。
 A周辺地域の景観や雰囲気を特徴付けている。
 B市民に愛されている。
の三つの条件を満たす建築物を「都市景観形成建築物等」に指定して保存に努めています。現在までに指定された8件の建築物のうち、半数の4件が玉川小学校の校区にあります。校区内で指定されているのは、「玉野堰堤(えんてい)」、「玉野用水(玉野水力発電所導水路)」、「玉野水力発電所」、「玉野郷蔵(ごうぐら)」の4件です。
 玉川小学校の校区は、西は高蔵寺ニュ−タウン、東は低い山々、南は庄内川に囲まれ、豊かな自然環境が残っています。また、玉野・木附は、数百年前からの篠木の庄(しのぎのしょう)33か村の内の玉野村と外之原村の一部であり、古くからの歴史と文化を引き継いでいます。春日井市が条例で指定して残す建築物が校区内にたくさんあることからも分かるように、玉川小学校の校区は、豊かな自然や文化遺産の残されたすばらしい地域です。

 

玉野堰堤(えんてい)

(その2「玉野用水」、その3「玉野水力発電所」を見てください)

 玉野用水と玉野水力発電所の取り入れ口を兼ねた重力式、石張コンクリ−ト造の堰堤です。コンクリ−ト造の排砂門(砂を流す水門)や取水口制水門(取 り入れる水の量を調節する水門)、魚道(魚の通り道)、沈砂池(砂が流れ込 まないようにする池)もあります。

 玉野用水下流の玉野町や高蔵寺町の生活環境に有益な影響を与え、地域の歴史を示す貴重な施設であることから指定されました。

 

玉野用水(玉野水力発電所導水路)

(その2「玉野用水」、その3「玉野水力発電所」を見てください)

 玉野用水は、玉野堰堤から玉野水力発電所まで約2kmのコンクリ−ト造の水路で、玉野水力発電所の導水路を兼ねています。玉野村の加藤助左衛門らの努力により、文化年間(1804〜1818)に完成し、安政5年(1858)に高蔵寺村まで延長されました。その後、大正10年(1921)に玉野水力発電所が建設され、大改造されて現在のような 姿になりました。

 全体として昔の面影をよく残し、地域の景観や雰囲気を特徴付ける貴重な施設なので指定されました。

玉野水力発電所

(その2「玉野用水」、その3「玉野水力発電所」を見てください)

 玉野堰堤から取り入れた水を玉野用水を通して発電所まで導き、玉野川(庄内川)との落差を利用して水車を回して発電します。大正10年(1921) に完成、出力は500kwで、今も発電を続けています。大正〜昭和の初め頃 には、地元のほか現在の瀬戸市や長久手町方面まで電気を送っていたそうです。

 大都市の近くにある水力発電所はこの地方にはほかに無く、地域の歴史を示す貴重な施設なので指定されました。

 

玉野郷蔵(ごうぐら)

 五社神社の参道入り口である県道春日井瀬戸線のかたわらに、玉野郷蔵があります。間口2間(3.6m)、奥行き約3間(5.5m)、二階建て、妻入 りの土蔵で、外壁はしっくいで塗ってあります。妻(建物正面の屋根の下)に は、「玉」の記号が描かれています。郷蔵は、もともとは村の年貢米を保管したり、凶作(作物ができない年)に備えて、米や麦などの穀物を貯蔵しておく村の共同倉庫でした。玉野郷蔵は内 部がきれいなので、穀物を貯蔵したのではなく、最初から祭りに使う道具など を保管する倉庫として使われたのではないかといわれています。現在は、天王祭り(7月中旬)に使うからくり人形や山車、秋祭り(10月)に使う棒の手の道具や火縄銃など、村の大切な文化財が保管されています。

 建て物は明治初期のものと伝えられ、全体として昔の姿をよく残しています。 地域の歴史を表す貴重な建物として指定されました。

 

<参考史料>
春日井市の「都市景観形成建築物等」指定物件
NO 種 別  物  件  名 所 在 地 所 有 者 指定年
1 建 築 物 長谷川伴夫 邸 勝川町 長谷川伴夫 1998年
2 建 築 物 安藤洋太郎 邸 下屋敷町 安藤洋太郎  〃
3 建 築 物 鵜飼 史郎 邸 内津町 鵜飼史郎  〃
4 土木構造物 玉 野 堰 堤 玉野町 中部電力 2000年
5 土木構造物 玉 野 用 水
玉野水力発電所導水路
玉野町 土地改良区
中部電力
 〃
6 土木構造物 玉野水力発電所 玉野町 中部電力  〃
7 土木構造物 神屋地下堰堤 神屋町 水利組合  〃
8 建 築 物 玉 野 郷 蔵 玉野町 玉野区  〃

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