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玉川小学校・校区紹介
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盆踊りと提灯山 |
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木附の天王社 |
木附の夏祭りには、飾り馬の出る天王祭り、ウラ盆の盆踊り、二十二夜様などががありました。
天王祭りは、戦前は馬林(ばりん)を飾った馬が村内を走り盛大に行われていましたが、昭和25年(1950)以降馬が出せなくなりました。、一時中断した後、数年前から馬に代わって張り子の馬が出るようになりましたが、以前の賑わいはありません。ウラ盆は木附の夏の風物詩として、提灯山を囲んで盛大な盆踊りが行われています。二十二夜様はもともと外之原の白山神社へ行って外之原、細野とともに提灯を飾っていましたが、今は行なわれていません。
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馬 林 |
〇天王祭り
木附の天王社(津島社)は、公民館前の社に厳島(いつくしま)神社、秋葉社とともに祀られています。津島社の祭りは天王祭りともいわれ、夏に起こりやすい疫病除けの祈願祭として7月15日前後の日曜日(もともとは旧暦の6月16日)に行われます。以前は祭り前日の前やく、当日の本やく、翌日の山おろしの3日間にわたって行われましたが、現在では1日ですべてを行っています。祭りのお札は、津島神社の祭礼の日に区長が代参して受けてきます。
祭りは、前日までに神社係と区の役員が公民館に集まり、馬林(ばりん)に飾る標具(ダシ)を作ります。ダシは割竹を軸にして切れ目をつけた赤、紫、黄、緑、白の5色の色紙を巻きます。出来上がったダシは円扇形の馬林を作って馬の背に取り付け、公民館の座敷に飾ります。馬林の中には「御馬」と書いた札を立てましたが、戦時中の一時期には馬林の代わりに日章旗と海軍旗を飾り、札には「武運長久」と書いたこともあったそうです。昔は木附、外之原上・中、細野から4頭の馬が出ていましたが、昭和25年(1950)以降馬がいなくなって出せなくなりました。また、昭和27年(1952)に青年会が解散して、祭りは一時中断していましたが、数年前に右高秋夫さんが張り子の馬を作って飾るようになったそうです。 祭りの当日は、天王様の前で10時から神事が行われます。神事が終わると、軽トラックの荷台に張り子の飾り馬を乗せ、津島社と木附橋の間を往復します。祭りが終わると馬林を崩し、ダシを各戸に配ります。ダシは無病息災のお守りのほか、雷除け、泥棒除けなどにも効果があるそうで、家の玄関の横に立てておきます。
昔は天王様から秋葉様の灯籠(とうろう)までの往復を、馬林で飾った馬を走らせました。祭りの前に馬宿を決め、馬は青年会が玉野(後に志段味)から借りてきて世話をしました。馬が走るときは、青年会の若者が2人で両側から馬の口を取り、「オイサー」「オイサー」と掛け合って交代で5、6往復しました。最後は全員が後ろ綱を引きながら、馬の尻や背を棒でたたいて走らせ、豊作を祈ったそうです。木附には火縄銃(ひなわじゅう)が22丁あり、道の両側で撃ち鳴らしたので馬はびっくりして暴れ、観客は大喜びでした。火縄銃は、江戸時代末の長州征伐の凱旋(がいせん)記念として幕府からいただいたものだそうですが、今はありません。夕方には、そろって玉野のでく(山車からくり)を見に行きました。
また、戦前は「ごはん様」といって、柿の葉にのせた赤飯が振る舞われたので、お札と一緒にいただいて帰ったそうです。お札は15pくらいの竹に付けたもので、神棚や玄関に祀っておき、赤飯は家族で分けて食べました。
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盆 踊 り |
○盆踊り
地蔵様の命日である旧暦の7月24日はウラ盆といわれ、木附では昔から公民館前の広場で提灯山を囲んで盛大な盆踊りが行われてきました。夜になると108個の提灯に火が入り、賑やかな音曲に合わせて太鼓がうち鳴らされ、盆踊りの輪がいつまでも続きます。
今は地域の男女や子どもたちが中心になって踊りますが、昔は踊るのは青年会の未成年者と決められており、女性は踊りませんでした。昔、一人の女の人が踊ったことがあり、珍しいので「踊り娘」とあだ名が付いたそうです。踊り子は女装や変装して踊りましたが、女装するときの衣装は新嫁の家に借りに行き、中年の女の人が身支度を手伝いました。
踊りに伴奏(ばんそう)はなく、「お釈迦(しゃか)様でもバクチに負けて、4月8日は丸裸」、「二百十日に風さえ吹かにゃ、稲に小判の花が咲く」、「木曽へ木曽へと仕送る米は、尾張百姓の涙米」などと自分たちで手拍子を打ちながら踊ったそうです。
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提 灯 山 |
〇提灯山
木附では年に4回提灯山を立てました。いずれも旧暦で、6月16日の天王祭りには天王様前(公民館前)の広場に立て、、7月24日のウラ盆には地蔵様前(公民館前)の広場で提灯山を囲んで盆踊りを行いました。また、7月28日の秋葉様には山の上の秋葉社まで柱を担いでいって立てました。更に、二百十日にも八幡様の前で立てたそうです。また、7月22日の二十二夜様には外之原の白山神社で提灯祭りが行われ、木附は提灯だけを持って行って飾ったそうです。
木附の提灯山は太い丸太の柱に5つの胴をはめ、それぞれの胴に竹を差して縄で結んだ笠(チイという)を作り、そこへ108個の提灯をつけます。提灯は丸太の途中にあけた穴に滑車を付け、綱で引き上げるようになっています。中心になる丸太は文化8年(1811)に作られたものだそうですが、古くなって痛みがひどく、途中で折れて短くなっていたので、昨年(2000年)作り替えられました。提灯山は祖先の霊(れい)がやってくる目印になるといわれ、ウラ盆には欠かせないものだそうです。
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地 蔵 堂 |
〇木附の地蔵様
地蔵様は古くから民衆に親しまれてきた仏様で、衆生を救い死者を救い導くといわれています。木附にもたくさんの地蔵様(13体)がありますが、いずれも他所から迎えてきたもので、一番古いものは享保4年(1719)建立と刻まれています。もともとは古いお堂に祀られていましたが、昭和62年に津島社の社の西にコンクリート製の新しい社が建てられ、延宝8年(1680)に
建立されたという庚申(こうしん)塔と同じ社に祀られています。